東山道と園原

 奈良時代が始まる前(西暦700年頃)から、大和政権は全国を支配し治めるため、各地に道路を作りました。幅12mもある直線の道が、日本各地を貫く幹線道として建設されました。

 

 東山道(とうさんどう)はその一つで、近江国(滋賀県)瀬田の唐橋を起点に、美濃、信濃、上野、下野など中部山岳地帯を縦貫し、東北地方まで伸びる1000キロ以上の道でした。

 東山道は、大和政権が地方を従属させるための「支配・軍事の道」、税物を背負って都に納めに歩いて行く「納税の道」、九州北辺の防備に徴用された東国の若者の「防人(さきもり)の道」、更には馬の産地で知られる信濃国で生産された馬を都に運ぶ、「貢馬(くめ)の道」として利用されました。当然、様々な物資運搬、文化の伝搬路としても使われてきました。

 東山道最大の難所である『神坂峠』は、 美濃と信濃の国境で標高1,576m。 天気が変りやすく濃霧が出やすく雷が近い、 冬季の積雪が多い通行困難な場所として知られていました。通行困難ではありますが、ここさえ越えればあと何日と、旅の予定が立てられる道として同じ東国の道「東海道」より賑わったといわれています。 神坂神社から 6.5 ㌔の険しい古道を登り、 たどり着いた峠は古くは縄文時代から通行があった交通の要所でした。

神坂峠
神坂峠
信濃側から神坂峠を望む(真ん中の鞍部)
信濃側から神坂峠を望む(真ん中の鞍部)